メリッサの庭から
大好きなハーブを中心に人、音楽、映画、本、食べ物など出会いの感動を・・・
郷土愛
村上春樹氏の短編の中で、たばこのポイ捨てに対して
この町ではたぶんみんなが普通にやっているのだろう、という記述に
町議が「偏見と誤解が広がる」として抗議しているというニュースがありました。
http://www.huffingtonpost.jp/2014/02/04/murakami-haruki_n_4727528.html?utm_hp_ref=japan

ハルキストは、文学表現の一つでそこまで縛られる必要はない、とか
世界の村上春樹が実名で町を紹介しているのだから感謝しろ、とか
そういう方の意見も、実は私も同感ではあります。

しかし、わが町「松山」をボロクソに描いた「坊ちゃん」を有難がって
公的施設やお土産など、あらゆるものに「坊ちゃん」を冠していることに
苦々しく思っていますので、この町議の抗議にも好感を持ちます。

小説坊ちゃんは、松山の町やそこに暮らす人々を単なる田舎者、ではなく
まるで未開の野蛮人のように描き、揚句、松山を去る時には
不浄の地、と呼び、「船が岸を去れば去るほどいい心持ちがした」と書いています。
こんなの読んで、松山へ行ってみたい、と思う人がいるのでしょうか?

なんで、こんなものを有難がっているか?という議論は以前からあるのですが
松山人は「寛容」で一応まとまっています。

でも、私の私見なのですが、団子や、施設に坊ちゃんを冠した人は
やはり、どのように書かれているかつぶさには見てなかったのではないかと思うのです。
最近でも、本の話題になって、もっと深く話したいと思っても
買っただけ、だったり読んでいたけど途中でやめた、あらすじを知っている人も「読んだ」と仰るのです。

坊ちゃんを本当に読んでいたら、松山の人間なら、ムカムカ・・・若い人の言葉を借りると、ムカつきます。

当時、一般市民や農民はあのような文学を読む時間は無かったのではないかと思います。
徒歩や電車で移動し、電化されていない生活の中で、あのような文学を読むことが
できたのは、一部のインテリや学生だけだったのかも知れません。

後に文豪と呼ばれた漱石の業績から、松山を舞台に書かれた小説というだけで
安易に名前を使ったのではないでしょうか?
ここからが松山人の「寛容さ」で、そのことに誰も目くじら立てなかったのでは?と思います。

それにしても、東京生まれ東京育ちの漱石が松山に居たのは
たった1年。
それにもかかわらず、松山が坊ちゃん一色なのは、いかがなものでしょうか?

え?お前がそれに勝るものを書け?ですか?
できないから、「まつやま子規の庭プロジェクト」なのです。

漱石を否定しているわけではありません。
後年、漱石が著した環境論は大変素晴らしく尊敬しております。
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Author:メリッサ
愛媛県松山市のハーブ大好き
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春から晩秋まではこんな庭です。
メリッサへのご連絡はmelissa.herb.82@gmail.com まで!



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