メリッサの庭から
大好きなハーブを中心に人、音楽、映画、本、食べ物など出会いの感動を・・・
枇杷
最期の年の初夏・・・

入院先から外出許可をもらって出かけたスーパーで
高価な枇杷のパックを買い物かごに入れた母。
我が家にはびわの木があるので、こんな高いものを買わなくても
もうすぐ、いくらでも食べられる、とパックを売り場に戻しました。
「でも、食べたいのに・・・」という母の言葉を遮って。

その数日後、入院先から、某総合病院へ連れていくよう連絡がはいりました。
膠原病で入院していたのですが、肝臓の状況が極めて悪いということでした。
検査の結果、末期の肝臓がん(なぜ?)
余命6か月と宣告されました。
入院していたのに、末期になるまで気づかないって・・・・と
思いつつ、転院して暫くして院長とのやり取りを思い出しました。

お母さんの食欲の無さは、膠原病が原因ではなく
処方されている抗がん剤(一般的に抗がん剤も投薬されることが多いそうです)
のせいだと思う、人は食べることで元気になり、幸福感を持つことができる。
寿命が短くなるかもしれないけれど外してはどうか、という提案でした。

何を食べても不味い、食欲が無い、と言う母に
余命が短くなっても、今日のごはんを美味しく食べて欲しい、と
その場で了解しました。

にこやかに歩いて転院した母でしたから
宣告された「半年」はゆっくりと悪化していくのだろうと思っていました。
ところが・・・・・
検査に次ぐ検査で、絶食の母に半日以上点滴が外されていたのです。
水も飲めないのに、点滴が無いなんて、と担当の看護師さんに
食い下がりましたが、医師の指示どおりで間違いないといいます。
素人が考えても、まる1日近く、水分補給がないなんて・・・と
知人の医療関係者に相談したところ、遠慮せず、師長に直接訴えろ、
と言われて、部屋に来てもらい、点滴が再開されましたが
それ以降、母と話をすることはできなくなりました。
脳が壊れてしまったことは一目瞭然でした。
(このことで、訴訟を起こしたりはしていません。
元に戻るなら、どんなことでもしたと思いますが
そうでなければ、私が火中の栗を拾って苦労することをを
母は望まないと思ったからです。

許すということは、起こった事実を承諾するという意味ではありません。
私たちの生活をかき乱す対象を拒否するということなのです。
(ドミニック・ローホー 「シンプルに生きる」より)

回復を望めない母は、市内の別の病院に転院し、話はできなくても
流動食は口から採れるまでに回復しました。

家の前のびわがたわわに実り始めていました。
コンポートにしてすりつぶしたり、ゼリーにしたり
ヨーグルトに混ぜたりして届けましたが
母は、大好きなはずの枇杷を舌で押し出して食べようとはしませんでした。
母は元気な頃から、果物は調理するより、そのままの味が好きでした。
生のびわは許可がおりず、あれこれ試しましたが、ダメでした。

食べて・・・・
このまま死なせるわけにはいかない。
あの日、母から取り上げたびわを、どうしても食べてもらいたい。
涙が次から次からあふれてきます。
そんな私を、母は心配そうに見ています。
言葉は無くても、母親はわが子が泣いていたら
本能的に心配するのでしょう。

今年も、びわをお墓に届けました。
「墓石に布団はかけられんよ、親孝行は生きてるうちにしてね」と
お墓詣りに一緒に行くたびに、言っていた母の声が聞こえたような気がしました。

親御さんがご存命の方、どうぞ後悔のないよう、大切にしてあげてください。



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Author:メリッサ
愛媛県松山市のハーブ大好き
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